1960年代ベトナム戦争勃発に端を発し、50万からの地上軍をアメリカはベトナムに投入した。見落とされがちだが、ベトナム戦争には
タイの正規軍も投入され、
タイは同盟国としてアメリカと共に戦わされた。ベトナム内政干渉の大義名分として、アメリカによって唱えられたドミノ理論。言うまでもなく
タイにはその様な哲学は存在しない。言われるがままに戦いに加担し、ある意味では
タイは立派な犠牲者であった。今だに当時の北ベトナム正規軍、南ベトナム民族解放軍戦線との激しい戦闘で、肉体的に障害を抱える
タイ人をあちこちで、見かける事が出来る。コーターン(物乞い)の中にはその犠牲者がいる。

その様な悲惨な歴史を抱える一方で、当時若き猛々しいアメリカ兵達の格好の慰安の場所として脚光を浴びるようになったのが、パッポン通りである。
30年を経過した現代に至るまで、
バンコクを男の下半身の欲望を満足させる場所と言う概念でしか知らない観光客が、
夜の世界だけを目的に訪れる時は言うまでもなく、一般の観光客達にすら必ず外す事の出来ないナイトスポットがパッポン通りだ。その知名度たるや、通りを僅か一本平行に隔てて存在する、日本人専用の
タニヤ通りなどとは天と地の開きがある。日が落ちた頃からパッポン通りには露天が湧き始め、広い通りが人が通りすがるがやっとなほどの賑わいを見せる。日本の観光客の姿も見かけるが、やはり主役は西洋人だ。大半の日本人には肌に合わない有り体のオープンエアーのバーがひしめく。どこも共通して言えることは、暴力的な音楽のボリュームだ。お互いに顔を寄せ合い、相手の耳元に口元を運ばないと、コミュニケーションはおぼつかない。そう言う場所で西洋人達は平気で音楽に身を委ねている。
そしてそのパッポンで古今東西最も有名な存在が、西洋人の言うA Go Go、日本人の言うゴーゴーバーである。一般の
タイを紹介する健全なビデオテープにすら登場する名高き場所、その存在を知らない物はいないと言っても過言ではない。ステージの上に若き
女性が裸同然の格好で上がり、天井とつながる銀色のパイプを握りながら、腰をくねらせる。申し訳程度に身に引っかかっている紐同然のパンティーあるいはブラジャーに、番号札が付けられており客はその
女達を下から、妥協・容赦のない視線で鑑賞しながら、ビールを含む。気に入った
女は、その客との固有の視線や手招きで自分の横に呼び寄せ座らせ、交渉がまとまれば店の二階でその
女を抱くことも出来るし、連れ出して自分の好きな場所に連れて行く事も出来る。
タニヤが日本人と言う特有な性格を保有する人種を相手にするため、厳しい躾と静かな落ち着いた語らいの場所を提供するのに比較して、パッポンはどこまでも簡素で原始的、且つダイナミックでラディカルである。暴力的サウンドに耳をつんざかれ、一杯百バーつしないビールを飲み、ス
タイル抜群の
女の踊りを舐め回すように容赦なく眺め、気に入った
女を呼んで、本能の赴くままの行為を金を媒体に可能ならしむ。料金も
タニヤに比べ桁違いに安い。滝澤は赴任当時そのパッポンに、同僚から連れて来られ、ある種の固定概念を抱いていた。店に入ると禿鷲の様に
女達が、呼びもしないのに襲いかかって来て、
女達のドリンク代が請求される。そして
女達はおしなべて浅黒い肌に、垢抜けない容姿、いかにも田舎から昨日今日出て来たと思わんばかりの
女達か、さもなければもう『とう』が立ってどうにも手の付けられず、煮ても焼いても食えない
女達が踊っている場所と言う物だった。さらに西洋人と日本人との好みの違いで、決して日本人好きのする
タイプの
女性はいないとのイメージで、どうしても足が遠ざかるスポットであった。
「滝澤さん、ここへは良く来るの?」
年の頃30代後半の
タイ人滝澤に尋ねる。
「いいえ・・・昔は何度か来ましたがもう何年も来ていません。」
得意先の顧客の後取り息子にそう言う。
「日本人はここじゃなくて、向こうの
タニヤ一点張りだからな。」
ティップトップと言うレストランで、8人の
タイ人と同席して食事をする。その日は顧客からの誘いが滝澤にあったのだ。滝澤はいつもの事として自然に受け入れ違和感を感じないように自らに強いていたが、顧客のその男を除く7人の
タイ人達がどういう関係があるのかも知らされる事はなく、かなりの時間が経過していた。一人は男の妻であるとのぼんやりとした記憶があった。昔どこかでその顧客と一緒に出会った事がある様な気がしていた。
並べられている食事は、明らかに日本人が頼む
タイ料理とは異なっている。在
タイの
タイ食通のそれとも違っている。
タイ料理に何の違和感もない滝澤が、口にして改めてそのうまさに何と言う料理か?とつい聞きたくなる気持ちを抑える。所変われば何とやらの典型だ。長年横にいていつも一緒の土地に住んでいる
タイ人が、食べているものが日本人の食べる
タイ料理とこれ程までに違うのかと考えるだけで、滝澤はやや興奮気味だった。
「今日は俺が色々このパッポンを案内してやろう。ここにいる友達も皆この界隈は隅から隅まで知っている。」
すらりとした長身の中国系
タイ人のその顧客は、そう言いながら一人一人をようやく紹介し出した。どうやら自分の妻と学生時代の友達3人と警察一人、それとオカマ(カトゥーイ)にもう一人のよくわからない男を次々に手短に紹介してゆく。滝澤に限った事ではなく
タイの盛り場におけるオカマの数の絶対数の多さには、皆驚かされる。本格的に自らの肉体に金を掛け、男性のシンボルをそぎ落とし
女性ホルモンを打ち肌に丸みを帯びさせ、シリコンを入れ
女性ですら叶わない美しさを誇るオカマから、明らかに男だとわかる格好をしなががら、仕草が
女っぽく文字通り
女には全く興味のない男まで、一概にオカマと言っても様々な種類が存在する。男だけにしか興味のない者、男でも
女でも両刀使い、おなじホモセクシュアルでも男方と
女方等そちらの方に興味のない者達には定義がはっきりしない、しかしきちんとした区分けが存在する。
「よし・・・滝澤さん、行こう。」
男はそう言って席を立つ。男は
女房に意味有り気な目配せをする。滝澤は年の頃30代前半かと思われるその客の美しい妻の顔に、暗い陰を感じた。亭主の方を一瞥するが、その後は冷たく無視を決め込む。そう言う妻を確認しにやりと薄ら笑いを浮かべ、男は未だ腰掛ける滝澤の腕を掴んで引き上げた。と同時に警察と紹介された男も一緒に腰を上げる。
「滝澤さん、彼が一緒に来るとね店の飲み代がただになるんだよ。知ってた?」
「はあ。そうなんですか。」
滝澤は警察官に改めてもう一度目をやり観察する。確かに店で警察手帳を出して、身分を明かし無銭飲食をしようと言うのではない。彼の出で立ちは明らかに、
タイ人からすれば警察だとわかる服装をしているのだろうと滝澤はその印を探した。羽織るジャンパーの腕には、何かのワッペンが大きく貼られている。日本ならどこにでも有りそうなミリタリー調のジャンパーは、滝澤たち外国人では見分けが付かない何かが、そのワッペンが語っているとしか考えられなかった。
「彼は鉄道の警察なんだ。」
「サンパンさん・・・警察官ならどのセクションでも良いと言う訳ですか?」
男はにたりと笑う。
「いいんだよ。むこうだって鉄道の警察だなんて詳しく観察なんかしちゃいない。ただ警察だって事だけがわかれば何だっていいんだよ。」
滝澤はいかにも
タイらしいサンパンの回答に大きくうなずいた。
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