バンコクの陽炎 

主人公滝沢氏が繰り広げる97年前後のバンコク駐在物語。

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【第26章】ニーの正体

2008.01.22

category : バンコクの陽炎【本編】

「どこで?」
 滝澤の眼光が鋭く光る。滝澤の態度の変化にニーも不用意な発言をしたことを自覚する様子を、滝澤は見逃さなかった。まずい発言だったと自覚すること自体が、ますます滝澤の確信を深めて行った。普通の大学生だと思えば、普通の会話を楽しむ用意がある。がしかし相手がその道に通じている女だとわかれ ば、プロであろうがセミプロであろうが、手加減はしない。
「えーっと…姉さんと同じ店で……スクンビットのソイ10いくつかだったかしら……店の名前ももう覚えていません。」

理想のパートナーが見つかるよ♪

村岡万由子 画像

 明らかにニーは狼狽していた。勤めた事のあるしかも現在でも姉が働いている店の名前や場所を忘れる筈が無い。滝澤の表情には極めて穏やで笑顔さえ浮かんでいる。
「でも……私……バーテンダーの役で働いていただけだから……。」ニーは媚びる様な上目使いで滝澤に言った。卵形の顔に自然の眉山が綺麗に浮き出ている。大人びた化粧が映え、色気を醸し出せる顔だ。きっと夜のオレンジ色の彩光に包まれると、男を大きくそそるに申し分ない。現に学生服と言う出で立ちにも関わらず、カクテルラウンジの高級なムードにも決して格負けしていない。スクンビットの日本人相手バーやカラオケでは、ホステスのみならずバーテンダーであろうが給仕であろうが誰であろうが、客がその気になれば下半身の処理目的は達せられる。日本からの旅行客は律儀にそこを区別しているが、風俗店で働くどの役割の女性も、SEXの交渉は可能だ。ただその場合はホステスたちと2点だけ違う物がある。一つは彼女たちに拒否権が有る。そしてもう一つは、リピート狙いの媚びを売らない。即ち簡単に言えばサービス精神に欠けるだけなのだ。またそれを新鮮だと喜ぶ客もいる。
 ニーのとって付けたような言い訳は続く。
「夏休みの2ヶ月間だけ働くと言う約束だったんだけど、3日で辞めちゃったの……。だって夜のお仕事ってきついんだもの。眠いし。」
 ニーにとっては滝澤の表情は面白そうに話を聞いている男に写っていた。がしかし、滝澤はこの一連のニーの発言で、ニーに対する態度を180度変える決心が固まっていた。滝澤の容赦ない追求の言葉が襲い掛かかり始めた。
「それじゃ姉さんが君をどうやって学校に通わせているか……君がさっきこぼしたけど少ないお小遣いをどうやって必死で稼いでいるか、君は十分知っていると言う訳だ………。」
「・・・・・・ええ。姉さんは一生懸命日本人客のお酒の相手をして、仕事をしています。」
「お酒のもてなしだけで、君の学費が出る?アパート代が払える?」
「…………………………」
 ニーはこの滝澤の突っ込みに何も答える術が無い。しばらく神妙な沈黙が流れた。
「何が言いたいんですか?・・・・・・私の姉さんが体を売ってお金を稼いでいるとでも?」
 小首を傾げ抗議する精一杯の演技が滝澤には愛らしくさえ感じる。
「それ以外何が?」
 カクテルグラスの淵を人差し指の腹でなぞりながら滝澤はクールに受け答え た。
「……恋人同士になった人と一緒に寝てお金をもらう事がいけない事?」
「いーえ。ちっとも。」
「じゃあいいじゃないですか。」
「悪いって誰が言っている?僕は何とも思っちゃいないよ……。体を売る事は世界最古の女性の職業だ。」
「そんな言い方はないでしょ……?」
 やや語気が荒くなる。
「事実だから仕方が無いじゃないか。それとも愛の無い男を君たちは恋人って呼 ぶのかい?それは………君だって同じ経験をしている筈だから、よくわかって いる筈だ。」
「…………………………見下してるんでしょう…………夜の仕事につく女は悪い女だと。」
 この認識だけは不思議と風俗で働くどの女にも有る。夜の仕事をしている女の社会的地位が低いと言う事は、自覚として誰もが持っている。
「いーえ、全く…………」
「どうしてですか?」
「だから言っただろう、僕たちはお金を稼が無なきゃ生きていけない。その手段が体を売る事であっても、それはそれでいいと僕は個人的に思っているって…。敬虔なキリスト教やイスラム教の信者の人たちにこんな事いったら、袋叩きに合うかも知れないけどネ。タイではタイに来て見なければわからない文化が有る。歴史が有る。背景事由が有る。女性の背負わなければならない性がある。そう言う事を知らずして、一般論で体を売る女を悪い女だと決めつけるのは良くないって俺思うから……、僕もタイに来て女性が体を売るそれについての考えは大きく変わった。勉強させてもらったんだ。」
「滝澤さんもそう言う女性を相手にする事は有るんですか?」
「あるさ……。僕だって人間だし男だし。まだそこまでふけちゃいない………モラルとか云々を振り回して禁欲する気持ちはあんまりないし。………でも一つだけ言える事は、女性なら誰でもって気持ちにはどうしてもなれないかな。」
 滝澤のこの言葉に意を強くしたようにニーがたずねた。
「滝澤さん、恋人は居るんですか?」
「いない。」
 とそっけなく聞き飽きる質問に答える。
「本当かなあ……何人もいそうって感じ。話はさっきの話に戻るけど……本当に中にはいますよね。女なら誰でもって人が………。滝澤さんはどんな女性は嫌なの?」
 さっきまでのシリアスな雰囲気はもうすっかりどこかに吹き飛んでいる。ニーと言う女性の性格をよく表していると滝澤は思った。
「お金が目的なら目的だとはっきりと割り切ってそう言ってくれる女性がいいな。本当はお金なのに、そうでない振りして勿体ぶったり、嘘をついたりする女の人はあまり好きになれない。またそんな事もどんな事も何も考えないノー天気な女性もね。」
 この言葉が滝澤の放った最大の罠である事は、ニーの年齢ではわかる筈もない。滝澤に体を売るために近寄って来ているのなら、はっきりとそう言えば良い。その手間暇を省いてやるための誘い水だった。
「ヘー、普通はっきりとお金の事を言うと男の人は興ざめするんじゃないですか?」
「そう言う人もいるね。でも考えてご覧よ……、男と女の関係だから将来の事はどうなるかは誰にもわかりゃしない。でも初めて会った客と擬似恋愛ですら出来ますか?って。そりゃ一目惚れって事もない訳じゃないだろうけど、それは男側が陥る感覚で、毎日毎日あわよくばいい女を見つけてパクろうって感じで店に来る、数多くの男を見慣れている女側は、間違ってもそんな感覚は抱かないさ。一目惚れだなんて……、女たちにそんな感情なんか有りっこないよ。それなら最初はそんな妙な芝居はやめて、はっきりとお金を目的でのお仕事だと割り切って接してもらった方が良い。そっちの方がお互いにすっきりするじゃない。相手が芝居をしているなんて思っている時ほど、興ざめた感じがする時はないな。」
 ニーは感心したように腕を組み、右手をあごの下にあてがっている。滝澤のこの言葉のあと、何かを一生懸命思案している様子だ。滝澤にはニーが何を考えているのかは手に取るようにわかっていた。何故ならこれらの一連の滝澤の発言は、滝澤の考え尽くされた、物事をややこしく時間をかけずに解決するためのニーへの仕掛け、誘導発言、または支援発言だっだのだから。
「私は………滝澤さんとなら……寝てもいい。」
 独り言を言うようにだがゆっくりとした口調で、言葉に抑揚をつけながらニーは言った。滝澤は表情にこそ出しはしなかったが、全て滝澤の読み通り、計算通りに乗ってきているニーに少なからず満足する。1週間前の土曜日の深夜、ヨシミネに電話して来たのもホテトルまがいの目的の電話であった事も決定的に確認出来た。
 会った時から格好いいを連発してきたニーの発言もこれで説明がついた。援助交際を望む女は、相手の容姿に注文を付ける訳にはいかない。組織や店が背景に控えていない、自分個人の客取りだ。選択の余地など限られている。例えどんな男が出現しようが、我慢して相手をしなければならない。その決心が出来ているからこそ、自分の予想以上の体裁の男が相手だと知ると、その言葉が自然に頻発されるのだ。期待値の低さが故の喜びとでも言う物かと滝澤は分析した。
「で?いくら欲しいの?」
「いくらでも、滝澤さんが決めてください。」
 タイ版援助交際……。もっとも日本のそれとは大きく違う。彼女たちは生きて行くために援助を求める。今日食べるために、明日のアパート代金を支払うために、明後日の田舎の両親への仕送りの為に、両親の入院治療費をまかなうために。兄弟の学費のために……。決して自分に欲しいものがあるからとかの物欲、やりたい事が有りそのためにお金が必要だとかの意欲を満たすための援助交際ではない。
「さっき、はっきりと言った方が良いといっただろ?欲しい金額をいってごらん。いくら金に困っているんだ?」
「ニーは………滝澤さんなら6000バーツならOKするな。」
 滝澤は心の中でつぶやいた、きょうび6000バーツで女を買う男がどこにいる?ソープに行って100人の中から飛びっきりの自分好みの女を買っても1500だ。チップを合わせても2000はいかない。カラオケの連れ出し高級店から女を連れ出して一晩寝ても2500も払えば、女は感謝する。ただカラオケの店の場合は、店に連れ出し料と飲み代を支払わなければならないが、それでも4000バーツでけりがつく。女であれば誰でも良いと言う場所もある。そう言う場所なら4桁の金額すら必要無い。6000バーツは女子大生の素人を抱く事に対するプレミアムか?素人ったって、昔バイトしていたのなら、不特定多数の男に抱かれた経験のある女だ。セミプロとでも言う感じか?セミプロならどのくらいのセミなのか?これだけは寝てみないとわからない。
「お金に困っているのかい?」ニーはうんとうなずく。滝澤は思いあたる節があり、チラッと時計の文字盤の日付に目をやった。
「アパート代金?」
 ニーは再び同じ仕草を繰り返す。
「明日ってとこか、支払いが……。きっと電話も今は止められている。受ける事は出来ても発信は出来ないって……そんな所かな?。」
 学生服の素人大学生に6000だと自分に言い聞かせれば……、途方も無い金額だがそれはそれでいいか、それにそれで彼女が助かると言うのなら。と滝澤は自分に言い聞かせた。無論セミプロと言っても本当に経験の少ない女かもしれない。
 もともと滝澤にはそう言う部分で値切ったり、女にクレームを浴びせたりする事が出来ない性格でも有った。常に冷静に物事を判断するクールな性格だが、一面では非常にどろどろとした部分につい目をつぶってしまう性格の弱さも持ち合わせていた。しかしそれは多分に面倒臭さが先にたつが故の性格であるとも言える。
「OK。それじゃそれで行こう。」
 勢い良く滝澤は席をたった。話が決まればカクテルラウンジで無意味な時間を過ごしている理由は何も無い。その拍子でやや重厚感のある椅子が大きな音を出す。静かなカクテルラウンジの店員の全員の目が、全員滝澤に注がれた。


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